八丈太鼓はなみずきの奏子です。
最近、港区のあちこちで「ふれあい祭り」という名前の祭りを見かけます。
芝浦、港南、竹芝。
地域によって内容は違っても、「ふれあい」という言葉が、何度も繰り返されています。
最初は、それが何を意味しているのか、正直、よくわかりませんでした。
でも、何度も同じ言葉を目にしているうちに、少しずつ思うようになりました。
この地域は、ずっと同じことを問い続けているのではないか。
「ふれあう」とは、どういうことなのだろう、と。
助け合うということは、結局のところ、お互いを知ることなのではないでしょうか。
顔も知らない。
名前も知らない。
どんな人なのかもわからない。
そんな相手に、いざという時、私たちはどこまで手を差し伸べることができるでしょう。
もちろん、知らない人を助けることだってできます。
でも、祭りで一緒になった人。
隣で太鼓を叩いた人。
何度か話をした人。
「ああ、あの人」と顔が浮かぶ人。
そういう人がいるだけで、何かが違ってくるような気がします。
八丈太鼓を叩いていると、そのことをよく感じます。
太鼓の前に立つ。
相手がいる。
相手の呼吸を感じながら、音を出す。
こちらが叩けば、相手が応える。
相手が音を出せば、こちらもまた音を返す。
そこで起きているのは、単なる音のやり取りではありません。
一人の人間と、もう一人の人間が向き合っている。
そんな時間です。
八丈太鼓には、下拍子と上拍子があります。
二人で一つの太鼓を叩く。
でも、二人が同じ音を出すわけではありません。
それぞれが、自分のリズムを持っています。
自分の音がある。
そして、相手の音がある。
相手を消して、自分だけが響くことはできません。
だから、相手を聴く。
感じる。
応える。
私は、八丈太鼓のこういうところが好きです。
自分をなくして相手に合わせるのでもない。
自分だけを押し通すのでもない。
自分の音を出しながら、相手の存在を感じる。
違う二人が、同じ太鼓の前に立つ。
そこに生まれるものがあります。
それは、八丈太鼓における「対話」のようなものなのかもしれません。
最近、東海汽船をめぐる問題が報じられました。
運航体制や安全管理について、さまざまな課題が指摘されています。
そのニュースを見ながら、私は別のことも考えていました。
東京諸島の島々は、海によって隔てられています。
人が行く。
物が運ばれる。
島で暮らすためには、海上交通が欠かせません。
過去には、大島の噴火や三宅島の噴火など、大きな災害もありました。
そうした時、島と東京を結ぶ船は、島の人たちの生活を支える重要な役割を果たしてきました。
だからこそ、今、改めて考えます。
もし不慮の事態が起きたら、どうするのだろう。
一つの事業者、一つの航路だけに、大きく依存していることの危うさ。
もちろん、代替ルートは必要です。
インフラの多重化も必要です。
安全管理も、防災計画も必要です。
これは、間違いありません。
でも、それだけでいいのだろうか、とも思うのです。
港区は、竹芝をはじめとする港を通じて、東京諸島とつながっています。
島の人が東京へ来る。
東京の人が島へ行く。
荷物が運ばれる。
文化も行き来する。
港区と東京諸島は、もともと深くつながっている場所です。
そんなことを、私は以前、八丈島が台風による被害を受けた時にも感じました。
当時、私たちは「24時間チャレンジ八丈太鼓」を中継しました。
八丈島が大変な状況にある中で、港区では多くの人が太鼓の前に立っていました。
子どもも、大人も。
八丈太鼓を叩いたことのある人も、初めてバチを持つ人も。
一人ひとりが太鼓を叩く。
画面の向こうには、八丈島がある。
そこには、「防災のために太鼓を叩こう」という呼びかけがあったわけではありません。
ただ、島で起きていることを知り、島のことを思い、それぞれが太鼓の前に立った。
今、改めて考えると、あの時間には、今回私が考えている「ふれあう」ということの一つの答えがあったような気がします。
港区にいながら、八丈島のことを思う。
直接会ったことがない人もいる。
それでも、同じ太鼓を叩く。
同じ文化を通じて、島を少しだけ身近に感じる。
「あの島で暮らしている人たちがいる」
「あの島で、今、大変な思いをしている人たちがいる」
そのことを、頭で理解するだけではなく、自分の身体で感じる。
私は、文化には、そういう力があるのではないかと思っています。
では、そのつながりは、本当に「助け合える関係」になっているのだろうか。
八丈島のことを、港区の人はどれくらい知っているのだろう。
港区の人たちのことを、八丈島の人たちはどれくらい知っているのだろう。
私は、そんなことを考えます。
いざという時、最後に人を動かすのは、マニュアルの一行だけではないのかもしれません。
「あの人がいる」
「あの人のことを知っている」
そんな記憶が、人を動かすこともあるのではないでしょうか。
私たちの場合なら、
「あの人の叩く太鼓の音を知っている」
ということもあるかもしれません。
祭りで太鼓を叩く。
それは、防災訓練ではありません。
誰かを助けるための訓練でもありません。
ただ、集まる。
太鼓を叩く。
音を聴く。
笑う。
話をする。
ふれあう。
それだけです。
でも、その「それだけ」の中に、いろいろなものがあるように思います。
人を知ること。
相手を感じること。
違う人と同じ場所にいること。
そして、自分とは違う音を受け入れること。
私は、これもまた、防災につながっているのではないかと思うのです。
もちろん、祭りを防災のためにやるわけではありません。
太鼓を叩けば防災になる、という単純な話でもありません。
ただ、人と人の間に何かが生まれる。
その何かは、普段は見えません。
でも、困った時にはじめて、その存在が見えてくることがある。
そういうものなのではないでしょうか。
「ふれあい祭り」という名前が、港区のあちこちで繰り返されています。
私は最近、その意味が少しだけわかってきたような気がしています。
都市では、放っておけば、人はお互いを知らないまま暮らしていくことができます。
隣に誰が住んでいるのか知らない。
同じ地域にいても、話したことがない。
それでも、日常生活は成り立ちます。
でも、不慮の事態が起きた時はどうでしょう。
その時になって、初めて「知らなかった」と気づく。
それでは遅いのかもしれません。
だから、何度も祭りをする。
何度も集まる。
一度で終わらせない。
未完成なまま、また会う。
また話す。
また太鼓を叩く。
そうやって、少しずつ関係ができていく。
私は、そこに地域のレジリエンスがあるような気がしています。
壊れないことだけが、強さではない。
何かが起きた時に、もう一度つながれること。
もう一度、声をかけられること。
「あの人に連絡してみよう」と思えること。
そのためには、普段から「ふれあっている」ことが必要なのだと思います。
祭りで太鼓を叩く。
それは、ただ「ふれあう」ことです。
けれど、その中には、人を知ることがある。
対話がある。
共鳴がある。
そして、いつか誰かを助けるかもしれない関係もある。
基本の音は同じでも、そこから生まれる倍音は、それぞれ違います。
祭りも。
太鼓も。
防災も。
助け合いも。
一見すると、別のものです。
でも、どこか深いところでは、同じ音から生まれた倍音のように、響き合っているのかもしれません。
港区で、八丈島の太鼓を叩く。
島のことを知る。
隣の人を知る。
そして、また次の祭りで会う。
そんな小さな繰り返しの中に、全部があるような気がしています。
祭りで太鼓を叩く。
その営みは、ただ「ふれあう」ことだ。
けれど、その中に、全部が在る。


